私は都内で働く34歳の男性。
当時24歳から5年間ほど勤めた葬儀社を実際に退職したのですが、心身ともにズタボロになりました。
まずは過酷な労働時間にありました。亡くなる人が増えるほど増える葬儀の仕事。
10名にも満たない葬儀スタッフにかかる労働は重く、一月の労働時間は500時間を超えていました。
朝9時から出社し、現場や現場周りの雑務を終え18時に退社したかと思えば、そこからが第二朝礼。
現場チームのリーダーを任されていた私は、自身の担当する葬儀の準備とチームメンバーのマネジメント、教育、数値管理に追われ仕事を終えるのは夜中の3時、4時が当たり前でした。
家に帰ってはシャワーを浴びて倒れるように寝るだけで、帰るのが面倒な日は会社に泊り、早朝に再度その日の仕事のチェックをして現場に行く毎日。
頭で考えたことが実際行動に移せず、現場でのミスも増えるようになりました。
運転する車での事故を起こしてもしまい、玉突き事故を起こしてしまいましたが、この務めていた会社で信じられなかったのは、そのミスや事故から私を守ってくれることはなく、ミスを咎めて地位を落として反省しろの毎日であったことです。
流石にこの対応には納得できず何度も心が折れました。
また社内に充満する業務方のストレスから、社内教育において先輩が後輩を虐める事象が多発。
入社してきてもほとんどの社員が途中で退社してしまい、全く人員が増えず残った人間が常に多忙な日々を送るだけの生活が続きました。
葬儀の仕事のため休みはその日になってみないと休めるか分からない状況で、月に1日か2日間の休みが日常でした。
折角築いてきた交友関係やプライベートの趣味も仕事に押しつぶされ疎遠に。
当時ガールフレンドのいなかった私はもちろん勤務期間中に彼女はできず、それ以前に出会う時間さえありませんでした。
そしてそれだけの犠牲を払って会社や顧客のために努力している社員が退社しようとしても、その事象に目を向けずに辞めたいなら好きにすればいいし、辞める原因は会社にはなく、辞めていく個人にあると判断する会社の怠慢にもあきれてしまいました。
そのため、会社はいつまでたっても改善しようとはせず、その忙しさを正当化し続けました。
もちろん給与や膨大な残業代金で同世代の友人より給与は得ていましたが、悲しいことにお金を使う、好きなことに使う時間さえ与えられませんでした。
こんな会社あってはならないと思い、可愛がってくれていた会社の社長に挨拶さえせず、上司に言いたいことをはいたまま退職しました。
何度も体調を崩し、死に物狂いで働いていたにも関わらず一円の退職金さえ出ないと知ったときは、もう全ての感情が消えたのをよく覚えています。
最低な会社でした。