【介護の理想と現実】発言はねじ伏せられ人間関係が限界

私が就職したのは特別養護老人ホームでした。歴史のある施設で、100床を超えるベッド数とそれに伴う利用者さんがいました。

 

何を基準として良いのかはいまだにわかりませんが、人手は十分とは言えなかったです。

 

利用者さん一人ひとりに付き添う、寄り添うとなるとそれなりの職員を確保する必要がありましたが、介護業界はどうしても3Kと言われ、なかなか思うようには職員の増加は望めませんでした。

 

その職員の少ない状態での介護、それははっきり言ってかゆい所に手が届くようなものとは程遠いものでした。

 

入浴時間は最短時間で利用者さんの意見を100パーセント聞けるようなことはできません。食事だってそうです。時間に追われていました。

 

介護をしているというより、どのようにすれば目の前の仕事を効率よく終えることができるかということのみを考えていました。

 

利用者さんの事を思ってではなく、自分達を思ってのようなものです。この考えが伝統のように続いていたため、少しでも仕事が遅かったり効率が悪ければ、先輩職員に注意を受ける、睨まれるというのが当たり前でした。

 

しかし、人間というのは嫌なもので、その生活にもなんとなく慣れてしまい、怖かった先輩職員とも会話を楽しむようになりました。

 

やはり利用者さんに対しては申し訳ない気持ちが強く、希望に添えない現実に胸を痛めていました。それでも話す時間を上手に取ったりもしていましたが、私の理想とはかけ離れたものでした。

 

そんな時、施設内の一部の人間で会議が行われました。とあるイベントの会議でしたが、介護職員の主任と数名で開かれました。皆様々な発言をするものの、主任に全て却下されていきます。寧ろねじ伏せられるといった感じです。何のための会議なのかわからなくなってきて、なぜかそこで軽くキレてしまいました。

 

「そんなに否定されるならもう結構です」と。

 

それから後、私はなぜこの主任の下で働いているのか本当にわからなくなりました。知らず知らずストレスも溜まっていたのだと思います。

 

「もう辞める」

 

この頃に初めて誰かに発したのを覚えています。頭痛や体重の急な減少もあったりで、自分自身が限界に近いことがわかっていました。

 

ちなみに、その後主任とは口を聞かなくなりました。今考えれば最悪な部下です。

 

耐えることが足りなかった私ですが、他愛もないことで勤めることが嫌になり、困難になるのだと痛感しました。

 

結局は人間関係が大きく響きました。

 

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