安い基本給でありながらも、会社の商品を買わなければいけない状況になりかけたときです。
給料が安いということも、商品を買わなければならない状況も、自分自身が招いている結果とも言えるので、こんな会社と自分が思うということは、会社から見た私も、こんな社員という評価だった可能性もあります。
だからこそ、双方の思惑評価が一致していないということで、ますますやめたいと思いました。
歩合ではなく、基本給換算だったので、頑張る気持ちも若干萎えていたと、今振り返ればそう思います。
入社前に企業研究から感じ取っていた職種の仕事内容と、実際日々の仕事で占めている仕事の内容は、大きなずれもありました。
そこも、やってみて自分自身の裁量ではない職種だと感じていたことも、やめてやると思いました。具体的には、日々、営業だということです。
高額の商品を売る、契約を取るという行為は自分には向いていませんでした。
民間で利益をあげていくために、もちろん契約がなければ、会社は回りません。
そこを当時の私は、予測不足だったし、考えが足りなかったということもあって、やめたいと常に感じていました。
高い商品を売ることは悪ではありません。それ相応の価値の高い商品でしたが、当時は若かったこともあって、経験不足から、お金のあるお客様の見極めがちょっと下手だったことも、やめたい気持ちを後押しさせていたと思います。
感情のコントロールもできないと営業は勤まらないです。
テレアポも業務の一つでした。テレアポは、電話を受けた側は嫌がる人も当然多い世の中です。
勤めていた会社は全うな会社でしたが、ご家族の方が電話に出られると、変な会社の勧誘だと誤解される人もいました。
家族に内緒で契約している方も多かったので、はっきりとした身分を明かさずに本人につないでもらわなければならなかったからです。
こういうときに、嫌な言葉を投げかけてくる人も多く、ネチネチと絡まれることもありました。
こういうのも全てスルーしなければいけないですが、会社の業務として、ガチャ切りするわけにもいかず、辛い思いをしました。
「ご本人様不在でしたら、失礼いたします。」なんて切れば良かったんでしょうが、なんとなく当時の私にはできませんでした。
あらゆることにうまく立ちまわる能力が不足していたことが、辞めたいと思った最大の理由かもしれないです。
結局、やめてやるという思いは、自分のそのときの性格や技量と、職種の釣り合いが取れているかどうかで起きるかもしれないと、この経験から思いました。
人は適材適所に居れば、こんな会社やめてやると感じることはないと思うからです。
接客があり、商品販売や契約事からお客様を得ているのであれば、営業要素も当然発生する、ということが抜けていたという自分自身の子供ぶりも、敗因だったように思います。