精密業界で働いているときに新製品を評価する部門にいたことがあります。
評価するための装置開発から始めることになり、関連部門を含めたタスクが発足し、複数のメンバーでそれぞれの役割が決められてはじまりました。
担当したのはソフト作成ですがハードと並行に進めることができたので最初は順調でした。
ハードの方は外部に委託していたのでかなり苦戦していて、途中から参加を求められましたがソフトに集中したくて上司に相談したところ、やりくりすればできるのではという態度で第3者的立場でした。
仕方ないので委託先を訪問したりしてソフトの観点でアドバイスしていましたが、なかなかできあがらず社内で場所を借りて共同で進めることになりました。
納期が迫ってきたので何回か徹夜しましたが、宿泊するところなどないので実験室に段ボールを敷いてその上に寝ていました。
上司も日中は気になるのか見に来ますが、徹夜明けにすぐに帰宅した方がよいと一言いうだけで見てみぬふりでした。
このころから、この上司で大丈夫かなという気持ちがありました。
スケジュールがどんどん遅れてきてなかなかハードができないのでソフトのデバッグも進みません。
評価する装置が完成しないと新製品の発売にも影響するため、社内で問題となり会議に呼び出されてしまいました。
異なる部門長から遅れた原因や挽回策を求められましたが、一刻も早く現場で仕事をしたいのに、その上司も同じように責める立場で守ってくれないのでかなり頭にきていましたが抑えました。
その後はハード担当している上司が人を増やしてくれたので何とか新しい納期には間に合うことができました。
1か月ほど遅れましたが担当していたソフトも何度かデバッグを重ねて見事に動作したときは廻りの人から歓声がおきました。
新しい評価方法でしたので製品開発期間も短縮できる画期的なものでした。
新製品も順調に発売することができ、担当していた装置で評価されたものが世にでただけで満足でした。
しばらくして評価装置が会社で認められて表彰されることになりましたが人数に制限がありました。
中心メンバーは順当に選ばれましたが、なぜか自分は漏れました。
驚いたのは、その上司が選ばれていたことです。
自分の部門から複数のメンバーがいたので代表するとの理由ですが、ほとんど何もしていないのに推薦する会社にもあきれました。
賞金を分けるということでしたが、パーティ代にするということになりもちろん参加は断りました。
保守保身に走るというのは、こういうことかと思い会社を辞めてやろうと本気で思いましたが、しばらくして上司が左遷のような感じで営業部門に移動になったので思いとどまりました。